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胆江日日新聞
pickup : 胆江地方で疎開生産 特殊攻撃機「剣」 設計図が現存、判明 日本の窮状 示す一級資料 太平洋戦争末期 不足極める資材 有り合わせの木材、ブリキで製造 平成最後きょう「終戦の日」(江刺)
投稿者 : tanko 投稿日時: 2018-08-15 09:41:02 (448 ヒット)

 太平洋戦争末期、胆江地方に疎開していた戦前最大の飛行機メーカー・中島飛行機が生産を進めた特殊攻撃機「剣(つるぎ)」の設計図の一部が見つかった。江刺南町の荻田耕造さん(79)が保管していたもので、寄託された江刺岩谷堂の平和ミュージアム旧日本陸海軍博物館(八重樫正博館長)の調査で判明した。製造当時の剣の設計図が現存していたことが明らかになったのは初めてといい、「追い詰められた日本の状況が分かる一級資料」と同館。お盆以降、随時展示していく予定だ。焦土と化したあの夏から73年。15日、平成最後となる「終戦の日」を迎える。

 戦況の悪化により、軍需関連工場は次々と地方に疎開していた。中島飛行機も、水沢や江刺岩谷堂などに設計部門や組み立て、部品工場を分散。水沢では1945(昭和20)年に、剣の月産60機を目指していたとされる。
 戦争末期になると資材が不足したためアルミを節約し、合板や木材、ブリキ製の特殊攻撃機が製造された。同館主任研究員の小玉克幸さん(36)は「零戦のエンジンを一つ使い、爆撃機を造るのが剣の発想。設備はないが木材はあるので、剣を生産し工員の腕を磨いた。敵の軍艦を迎え撃つため量産し、最終的には本式の物を造るつもりだったのだろう」とみる。
 発見されたのはトレース用紙を張り、コーティングされた縦51センチ、横86センチの合板。「剣」の文字がはっきり確認でき、45年2月8日に製図されたことが分かる。「円框(えんきょう)」とあり、胴体と思われる部分の設計が描かれている。「爆倉」の文字も。「溶接」で鉄製、「丸木ネジ」から木製と推測される。何度か修正された跡が見て取れる。
 小玉さんによると、剣は米国スミソニアン国立航空宇宙博物館に1機現存し、国立科学博物館つくば倉庫に分解された状態で残っている。しかし、当時の設計図が見つかったのは初めてという。
 荻田さんはほかに、コックピットを覆う風防用のアクリル板とワイヤとみられる束も所有していて、同館に寄贈した。風防は厚さ4?程度で、通常より薄い。
 荻田さん宅の離れには当時、中島飛行機に関係すると思われる将校らが生活していた。自宅から程近い所に劇場があり、同社は観客席を工場として利用。終戦後、家族が工場の片付けを手伝った際、合板などを譲り受けた。ほとんどは風呂のたきつけにされたが、一枚だけ残った。
 八重樫館長(71)は「終戦から73年たったが、今までありそうでなかった資料。状態は大変良く、永久保存したい」と力を込める。
 剣は爆弾を積み飛び立つと脚を切り離すため、「限りなく特攻専用機に近い存在だった」と小玉さん。「この地域で剣を造っていた証言はあったが、証拠が出てきた。米国が最も恐れていたとされるのが特攻。もし戦争が長引いていれば、実質的な特攻機と言われる剣を生産していた水沢や江刺は米国の標的になり、焼け野原となっていた可能性もある。設計図は隠れた歴史を伝える資料」と指摘する。
写真上=合板に張り付けられた特殊攻撃機「剣」の設計図
写真下=設計図右下部分の拡大写真。「円框」や「爆倉」などの文字や数字が読み取れる


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